開腹手術後5日目、6日目のこと
手術後5日目(23日)
お腹が痛重い。1回目の手術とはまた違った痛さで不安になる。
この日はあまり動かず、せいぜい立ち上がるくらいしかせず。
それでも、先生や看護師さんに質問しまくって不安を自分で解消していく。
今まで、「質問しても忙しいかな」と思ってたけど、もう気にしない。
自分のことは自分で守る。何かあっても、痛いのは自分なのだから。
そして、痛みが少しマシになったからか、看護師さんの態度とかが気になってくる。
①急かしてくる看護師さんA
術後初めて立ち上がろうとする時、痛みがあるから少しずつ動こうとしているのに、
「ここ持ったら早いよ!」「ここ!ここ!」
とすごい勢いで急かしてくる看護師さん。あー早く他の仕事したいんやろなって丸わかり。
「ちょっと待ってもらえますか!?」って割と強めに言ったら黙ったけど。
(この時立ち上がることが出来て、午前中の内に尿管カテーテルを外してもらう。スッキリ)
②選択の余地を与えない看護師さんB
夜ご飯の様子を見に来た看護師さん
看「どれくらい食べられました?」
私「8割くらいですかね」
看「じゃあもう食器持って行けますね~」
(配膳は歩ける人は廊下に出て自分で持っていくことを推奨される)
この時点でまだ点滴棒を持ちながらじゃないと歩けなかったが、こんな言い方をされたら「無理です」とは咄嗟には言えなかった。
自分で持っていこうとしたが、案の定途中で立ち止まってしまい、気づいた別の看護師さんに持っていってもらう。
③部屋の入り口から連絡事項を伝える看護師さんB
私、個室を取ったのですが、②と同じ看護師さん、連絡事項を部屋の入り口、扉を開けて伝えてくる。病室まで入ってこない。
うわ適当~~~としか思わなかった。こんなことする看護師さん他にいなかったよ???
看護師さんBに関しては、入院中にきっちり意見書に書かせて頂きました。
その甲斐あってか、たまたまなのか、退院までその人が私の病室に現れることはありませんでした。
手術後6日目(24日)
朝方熱っぽかったけど下がる。まだちょっと痛いけど歩ける。
ご飯は8割食べられた。ご飯を前にするとお腹空いた~てなることで「あ、自分元気になってるな」って思う。
痛み止めを飲まなくても寝られるように。
この日、初めての便!!術前から出てなかったから多分8日ぶりとか。一安心。
そして、嫌な看護師さんがいれば、素敵な看護師さんもいるわけで。
「ちょっとしか歩けないです~」て話から
「痛くても歩いてくれるから、私すごく応援してたんです!!」って言ってくれて。
そこから、ちょっと思うことがあって・・・て話も気持ち分かってくれて。
24歳の、ほわーんとした癒やし系の可愛い看護師さんで、めちゃくちゃ癒やされたし、ちょっと話すだけでこんなに気持ち楽になるんやなって。
人と話して、感情を共有することって大事なのだな。
開腹手術後3日目、4日目のこと
手術後3日目(21日)
朝になってやっと痛み止めが効いてきたので、少し寝る。
あまりにも昨夜痛がった為、内診してもらう。異常なし。
痛みはほぼ落ち着いたが、歩行練習の時に貧血で倒れる。一瞬意識を失う。(初めて意識を失った!)看護師さんと練習してたから、支えてもらってて打ち所が悪いなど無し。ここでも内診してもらう。異常なし。
この日はもうずっと寝てた。食欲は有り。
手術後4日目(22日)
朝、採血。まさかのヘモグロビン値4.4という数値をたたき出す。
(手術前日7→手術後6.6→4.4という経緯)
CTを取ると、筋膜と筋肉の間で出血が起こっていることが発覚。止血のために再手術決定。しかも1時間後とか。あれよあれよと話が進んでいく。心の準備が全く出来ない。
今までで一番調子がいいので、何故!?また手術!?全身麻酔!?硬膜外麻酔!?と悲しみと不安で号泣。
手術の説明に来た執刀医の先生に思いの丈を伝える。
この先生がすごく良い先生で(イケメンでした)、「大丈夫。一個目の手術よりも簡単な手術で、すぐ終わるよ」と言ってくれ、またあまりにも私が怖がるので、硬膜外麻酔も直前で無しにしてくれた。
2回目の手術前も号泣。歯を食いしばるけど流れてくる涙。
BGMがオルゴール調のaikoの「kisshug」でちょっと安心。(aikoは私の青春バイブル)
今回の全身麻酔は、すーっと眠りに落ちる感じで、(あ、今回弱い麻酔なのかな・・・)と思いながら眠りにつく。
目を覚ます。あーまたこの動けない感じとか、鈍い感じか。と半ば諦めの気持ち。
「何で2回も手術にならなあかんの」という呆然とした、やりきれない気持ちが強かったです。
しかし、回復は早く、数時間したら時間を気にしたり、携帯を見られるくらい余裕が出てきました。マスクもすぐ外してもらえたし。体の負担が少なく「簡単な手術」という言葉を実感。
で、また痛みがやってくる。
この時、色んなことを考えました。
今日まで、激痛があったり、そのことについて先生も看護師さんも何も説明してくれなかったり、そういえば1回目の手術のことも詳しく説明されてない、とか納得いかないことがいっぱいあって。
そういうこと全部、自分で聞いていかなあかん。
自分で考えて、疑問があることは聞く。
自分から動かな、誰も何もしてくれへんのや。
と同時に
もっと自分の気持ちのまま動いていかなあかん
遠慮とか過度な謙遜とかしてても、自分の為にはならない
と思うようになる。
(何故か自分の生き方を反省。今まで、人の目を気にしすぎて、必要以上にビクビクしていた所があった。もっと自分の意見を言ったり、嫌なことを言われた時に言い返していいんだ、と悟(?)る。
人生は一度きりで、自分が生きたいように生きる権利があるんだ)
↑手術、再手術となかなか無い経験をしたことによって、この考えにたどり着いたのかも。
そして夜、執刀医の先生が来てくれて、色々説明してくれたり、質問にいっぱい答えてくれた。
正直、1回目の手術で出血が多かったり、出血が多いのに歩かされて貧血になったり、前日内診2回もしたのにこの出血は分からなかったのか、とか、不信感がかなりあった手術でしたが、その辺の感情も理解してくれた上で説明してくれたので、不信感は払拭されました。
自分の中のモヤモヤが解消された為か、この日は術後にも関わらずグッスリ寝れました。
開腹手術後1日目、2日目のこと
手術後1日目(19日)
とにかく全身に色々付いているものだから、体が動かしにくい。
足にもマッサージ器が付いているから、足首をぴこぴこ動かすぐらいしか出来ない。
麻酔が効いているのか、痛みはそれほど。
昼間、足の機械を外してもらって、立ち上がってみる。
出血が多かった為、頭がフラフラして気分が悪くなる。
病室の入り口まで行ってみたが、外に行ける気がせずベッドに戻る。
この日から、寝転がりながら携帯をイジれるようになる。
夕方から、右側下腹部がめちゃくちゃ痛くなる。盲腸のあった場所だ。
傷口よりも、左側卵巣よりも、右側がめちゃくちゃ痛い。
卵巣のついでに取った盲腸なのに、こんなに痛いなんて聞いてないよ…と割と絶望。
盲腸、舐めてました。
そして頭痛もひどくなる。ジンジン頭の中で脈打ってる感覚。
耳栓を付けてから、少し長く寝られるように。
確か夜に吐き気止めの座薬を入れてもらった気がする。
手術後2日目(20日)
朝、頭痛がまだ続いている。
昼からご飯を自分で食べられるようになった。
気持ち悪い感覚があり、硬膜外麻酔が原因かも、ということで量を少し減らしてもらう。
夜には完全に切ってもらう。
自分でトイレに行けるようになったので、尿管カテーテルを抜いてもらう。
これ、ちょっと動いた時とか、尿を流してもらう時のピリっとする感覚が苦手で、早く抜いてほしかった…。
後、変に力が入って右鎖骨外側が筋肉痛みたいになっていたのでロキソニン湿布を貼ってもらう。
そして、この日の夜、人生で経験したことのない激痛が夜9時~朝7時まで続く。
多分硬膜外麻酔を切った影響と思います。(自己判断)
お腹を切られたらこんな感じなのかなという熱い痛みが、臓器をゆっくり走っていく感覚がありました。
痛み止めも全く効かず、当直医の先生も看護師さんも、我慢するしかない、と。
唾を飲み込むだけで刺激になるので、垂れ流すしかありません。
尋常じゃない痛みでしたが、何もしてくれませんでした。
一睡も出来ないまま、夜を明かしました・・・。
無事、退院致しました!+手術前日と当日のこと
17日入院、18日手術、22日再手術というなかなか無い経験をして、29日やっと退院致しました!!!
12日間の入院生活でした。
いや~~~~本当に辛かった!!!
想像以上に痛かったし辛かったししんどかった!!!
でも終わってしまえば、そのしんどさ、どこか行きました。
人間というのは現金なものです。
今は家でゆっくりしています。
開腹手術ということで、回復はゆっくり。いまだに歩くときはそろそろとしか歩けません。お腹も時々痛みます。しゃがむことも難しいし、コンビニに行くのも時間がかかるので行けません。自宅からは出られそうに無いです。
貧血で一瞬意識を失うという経験をしてみたり
お腹の中で出血があり再手術してみたり
激痛の中、自分の生き方を考えてみたり
優しい看護師さんに救われたり
心身ともに経験値10万くらい稼いだなと思う入院生活でした。
この滅多にない(と思いたい!)経験を記録として残しておきます。
また、同じような手術をする方の心の準備や支えにもなれたら幸いです。
手術前日(17日)
朝9時~10時の間に病棟にて入院手続き。
コロナ禍ということで、付き添いは病棟入り口まで。
次に会えるのは手術直前の手術室へ行くまでの数分のみ。
個室を選んだので、シャワーもトイレも楽ちん。
全部終わってみて、個室でほんっとうに良かった。個室を進めてくれた親に感謝です。
個室じゃなかったら、元気に退院出来てなかったかも。それくらい差がありました。
手術前日にやったこと
①色んな看護師さんやお医者さんがひっきりなしに来てひたすら問診。
②採血
③お臍洗浄
④三角ゾーンの毛ぞり
⑤内診
夜は寝られず、眠剤をもらって熟睡。
穏やかに1日が過ぎていきました。今思えば、嵐の前の静けさでした・・・。
手術当日(18日)
手術予定時間は11時半。しかし前の手術が少し押して呼ばれたのは12時過ぎ。
手術着に着替え、呼ばれるのを待つ。
呼ばれて、自分の足で歩いて手術室へ。
病棟を出ると父がいてくれて、先生とエレベーターを待つ間少し話せた。
この時、涙が溢れてきて、麻酔かけられるまでずっと泣いてた。
怖さと不安しか無くて、周りを見る余裕なんてありませんでした。
この時付き添いの看護師さんが背中をさすってくれていたのを覚えています。
初めての手術室、意外と広い。
そして、一番私が恐怖していた硬膜外麻酔。背骨に沿ってグイグイ入れていく麻酔。
まずは局所麻酔をして、体を芋虫みたいに丸めるよう言われ、丸まる。
私の体が固いのか、怖がって動くからか、なかなか入っていかない麻酔。気持ち悪い鈍い感覚が背中を伝わっていきます。
最終的に
「なかなか入らず、これ以上やるのは危険なので、術後痛みますが、硬膜外麻酔止めますね」と言われた。が、手術後の痛みの方が怖かったので
「頑張るので、もう1回だけやってもらってもいいですか」と頼む私。めちゃ健気。
腹を決めたおかげか何とか入り、点滴を取ってもらい、いざ!初めての全身麻酔。
すごかった。すごい感覚だった。
マスクを付けられた瞬間、左の脳からものすごい勢いで意識を引っ張られてブラックアウト→右側がブラックアウト→そして眠りへ・・・。
名前を呼ばれて目を覚ます。何かしらの夢を見ていました。
頭がボーッとしていて、でも動けなくて、気分悪くて不快。
執刀医(多分)に「手術終わりましたよ~」と言われ、何とか声を絞り出し、良性かどうか聞くと「良性でしたよ」と。ひとまず安心。
自分の部屋について、色々付けられる。
マスクも付いているし、尿管カテーテルは気持ち悪いし、足と手は何か締め付けられるし。
一通り終わって、父と15分面会。ろくに話も出来ず、手を握ってもらっていただけでしたが、その手の暖かいこと。
その後はただひたすら横になっているしか出来ませんでした。
音や、血栓防止の装着具が気になって寝ることも出来ず、動くことも出来ず。
定期的に尿管カテーテルを流しにくる時の尿への刺激も不快、息も浅くしか吸えないので、意識的に深く吸うようにしないと息苦しくなりました。
痛みはありましたが、それほどでもなく、麻酔がまだ効いている感覚がありました。
手術当日のしんどさ、MAX10とすると、8くらいかな。
まさか、このしんどさ以上の夜がやってくるとはこの時は思いもしませんでした。
卵巣手術に行ってきます
「チョコレート嚢胞の中に、小さな影が見える」
この言葉が始まりでした。
入院前日、不思議と心は穏やかです。
ここまでくれば、「なるようになる」という精神にまで持っていけるようになりました。
以下、生々しい話になりますので、苦手な方は注意をお願いします。
●そもそもの始まりは、2020年2月頃の婦人科検診
この頃、普段と生理の血の様子が違うと感じ、何となく不安に思い、婦人科を受診しました。いつもより血が鮮やかに赤く、さらさらとしているな・・・と。おりものの匂いがキツクなったのも気になるところでした。(ひどい時はズボンにまで染みつくほどの匂いでした)
地元の市の産婦人科は、妊婦さん中心の病院ばかりだったので、隣の市まで赴きました。
結果、生理に関しては年齢と共にホルモンも変わり、様子が変わってくることはよくある、という診断でした。
それよりも、左卵巣が少し腫れているのが気になる、と言われました。血が少し溜まっていて、いわゆるチョコレート嚢胞であると言われました。
まだそんなに大きくはないので、2ヶ月に1回経過観察をしていこう、となります。
●7月末の検診で事態が大きく変わりました
いつものように超音波検査を受けていたところ、
「ちょっと気になる所見があるので、MRI検査を撮ってきてください」と言われました。この頃は、まだ事態が分かっておらず、何でやろ、と思っていました。
そしてMRIの結果をまた婦人科へ持っていくと
「チョコレート嚢胞の中に、小さい黒い影が見える。大きな病院を紹介するので、出来るだけ早く受診してください。恐らく手術になると思います」
呆然としました。手術、という言葉が頭の中を駆け巡り、気持ち悪くなってきて、会計を待っている間、病院のベッドで寝かせてもらう程精神的にやられてしまいました。
帰りの運転中、親に電話し、号泣しながら報告。泣いたのは、この時と親友に報告した時の2回でした。
●お盆明け、大病院での診察
大病院での超音波検査、MRI結果の所見を見るに、やはり言われたことは同じで
「黒い影が見える」
「この黒い影が、悪性か良性か分からない。まずは腫瘍部分だけを切る」
「黒い影を術中病理検査にかけてから、左卵巣全体を摘出するか判断する」
という結果でした。
そこからは、血液検査、CT、心電図、もろもろの検査をはしごして、1ヶ月後の手術を待つのみとなりました。手術日まで制限されることは特になく、いつも通り過ごしてくださいとのことでした。
●今の心境などなど
私、生理痛とはほぼ無縁だったんですね。痛み止めも飲んだことが無い。周期も定期的。
ちょっとキュッとなることはあっても、数秒で収まる程度でした。
自覚症状0です。
最初は、何で私が。生理痛も無いし、1ヶ月に2回来たり、何ヶ月も来なかったりもない。なんでなんで???と思うばかりでした。
しかし、考え方を変えた今、生理やおりものの様相の変化で、受診することにして本当に良かった、と思えるようになりました。
この変化は実際病気とは何も関係ないとのことでしたが、これが無ければ受診しようと思わなかったですから。
特に「卵巣は沈黙の臓器」と言われています。女性は、特に生理痛が重すぎる方は、絶対に定期的に受診した方がいいです。
恥ずかしい、とか怖い、とかもちろんあると思いますが、切羽詰まるとそういうのはどうでも良くなります。(個人的には男性医師の方が、丁寧にやってくれる気がします。女性は、同じ女性が故に「これぐらい大丈夫やろ」でグイグイ来る気がします(笑))
手術と宣言された後しばらくは、気にしすぎて左下腹部がシクシクする!痛いやん!と思っていましたが、1ヶ月経った今は全く痛くないです(笑)「病は気から」ってこのことですよね(笑)
初めての入院、初めての手術。痛みに弱すぎて、想像しただけで気持ち悪くなる私ですが、泣いても笑っても明日はやってきます。
腹をくくって、経験というタンスの肥やしが増えるやん!というあっけらかんとした気持ちで、行ってきたいと思います!!!
人生でやりたい100のリスト
突然決まった手術が、このリストを作ろうと思ったきっかけでした。
卵巣に出来たチョコレート嚢胞の中にぽこっとした黒い影が見つかり、それを摘出する手術、これが私のリスト作成のきっかけです。黒い影が、悪性か良性か分からない為、摘出して病理検査に回すという手術です。
(この話はまた後日ブログに残します)
手術、と決まった時、「まだやりたいこといっぱいあるのに死ねない!!!」と強く思いました。
このリストは、手術が無事終わりますようにという願掛けの意味で作成した、お守りリストなのです。
まず始めに私が「人生でやりたい100のリスト」でググった時に出てきたのが
青木優さんのこちら↑でした。
ここから、色んな方のブログを漁り、参考にさせて頂いたのが以下のものです!
1.旅行(国内)
- 47都道府県制覇
- しまなみ海道縦断
- 熊野花火見る
- 日本の世界遺産を見に行く
- 伏見稲荷、頂上まで登る
- ディズニーでビッグバンドを見る
- 猫島に行く
- 竹島に行く
- 尾鷲市九鬼町に行く
- 三重のハイクラス旅館に泊まる
- 京都に1年間住む
- 鎌倉に1ヶ月住む
- 聖蹟桜ヶ丘に行く
- 日本三名泉に行く
- スッポンの大吉行く
- 山口の有名なふぐ料理屋へ行く
- ペンギンバーに行く
- フジロックでテント立ててキャンプ
- ブルーノートにドレスアップしていく
- 猫のいる宿泊施設に泊まる
- 仙台にずんだシェイクと牛タン食べに行く
- 北海道を一周する
- 岐阜県モネの池に行く
2.旅行(国外)
- ハワイでダイビング
- ハワイでジュラシックパークの草原見る
- フロリダでジュゴンと泳ぐ
- ウユニ塩湖に行く
- 北欧でオーロラを見る
- イタリアで本場のピザとパスタを食べる
- イギリスでアフタヌーンティー(スコーンいっぱい食べる)
- クオッカちゃんに会いに、ロッドネスト島に行く
- スコットランドでお気に入りのタータンチェックをゲットする
- グレートバリアリーフに行く
- バリ島に行く
- アマルフィに行く
- モルディブに行く
3.体験
- 朝焼けSUP
- 水族館で1晩過ごす
- 写経をする(鎌倉か京都)
- チャイナドレスを着る
- 1日中漫画を読む
- 野生のペンギンを見る
- 夜行列車に乗る
- 巫女服を着る
- お寺に泊まる
- 夜のドライブをして、満点の星空を見る
- 叙々苑で焼き肉
- 気球に乗る
- 催眠術を体験する
- ホエールウォッチング
- 飼い猫さくちゃんに甘えてもらう
- バンドのボーカルとして人前で歌う
- 織田裕二に会う
- aikoのジャズライブに行く
- シーコーミングする
- 温泉旅館で、観光はせずずっとお酒飲んでお菓子食べて喋ってダラダラする
- 雪の降る露天風呂で日本酒を飲む
- 川田まみのライブに行く
4.特技・習得
- ゴルフをまた始めて家族でラウンドする
- 一眼レフを使いこなせるようになる
- 習字習う
- ジャズバーでアドリブでサックス吹く
- アコギで弾き語り
- 茶道を習う
- 着付け出来るようになる
- 可愛いイラストをさっと書けるようになる
- 冷蔵庫にあるものでおつまみをささっと作れるようになる
5.勉強
- 交渉術を身につける
- お金、土地を守るための知識を身につける
- 人の感情を揺さぶる文章力を身につける
- 1週間に1冊本を読む
- 心理の本を10冊読む
- 宅建取得
- 歌ってみた、を投稿する
6.自分
- 自分の取り扱い説明書作る
- ベスト写真100を選出する
- 49キロ、体脂肪25%切る
- 自分のオリジナルキャラクターを作る
- 理想のマイホームを建てる
- 水分を1日最低1リットル飲む
- 1買ったら、1捨てる
- メモ魔になる
- ガッキーの透明感を手に入れる
- ipad pro買う
- 自分に似合うおしゃれメガネを見つける
- ピンときたアメジストリンクを買う(候補はマリハ)
- 自分のSUP買う
7.家族・対人
- 穏やかで尊敬できて頼れる人と結婚する
- 子供を産む
- 「年も年だし次に付き合う人とは結婚考えてくれる人じゃ無いと無理!」と言う
- 子供に音楽を習わせる
- 父の誕生日を毎年お祝いする
- 同姓同名の人と会う
- 星野源みたいな人と結婚する
8.考え方
- 大きな病気をしないずっと健康な体でいる
- 自分は運がいいと思いながら過ごす
- 優しい、暖かい、穏やかな人間になる
- いつも機嫌がいい状態でいる(自分の機嫌は自分で取る)
- 人との縁や、見えない力を大事にする
- 人生やりたいことやったもん勝ち!精神で生きる
考えてる時、めちゃくちゃワクワクして
「あ~こんなにやりたいことあるのに、メソメソしてたらあかんな、強く生きな」
と希望しか湧いてこなかった。
今はこのリストをノートに写して、1個1個下調べしてる最中です。
楽しいことだけ考えて、生きている毎日です。
〔2020.9.10追記〕
さっそく、1週間1冊本を読む、を実行しようと積ん読から選んだ本がこちら
内容が
婚約者に突然別れを告げられた明日羽。人生のドン底にいる彼女に、叔母が勧めたのが「やりたいことリスト」を作ることだった・・・。
ちょっとゾワッとしました。やりたいことリスト作成したその日に選んだ本が、やりたいことリストを作る主人公・・・。リストを作ったこと、そしてこの本を選んだのは、何かに導かれていたのかな。
途中まで読み進めた感想→「やりたいことリストは落ち込んだ人への人生の処方箋」
緊張しまくりの私が、DaiGoさん達の動画で学んだこと
近々、人前で率先して話す場がある私。
緊張したくない、どうすれば頭真っ白にならないか、上手く話せるか。
それを改善したい私、DaiGoさんを始め、オリラジのあっちゃんや、松葉健司さんという人材育成の会社の方のお話を聞いてみた。
このお三方、言うことに所々共通点がありました。
①聞き手のため、人のためになる話をすることに意識を向ける
②ドキドキする、不安がある=やる気がある証拠
③いい緊張を知ることで、緊張を恐れなくなる
この3点が、上手く人前で話す近道になると思いました。
①聞き手のために、人のためになる話をすることに意識を向ける
私、今まで「何て話したら皆に出来る人と思われるだろう」「失敗したらどうしよう」って、自分のことばかり考えていたんですね。
でも、「どうしたら分かりやすく伝わるか」を意識すると、スピーチ内容もスラスラ進み、何となく不安が和らいだんですね。
「内」ではなく「外」に目を向けるだけで、視界が広がり、思考がクリアになります。
②ドキドキする、不安がある=やる気がある証拠
DaiGoさん曰く、「ドキドキするのは、失敗しないように体がパフォーマンスを上げてくれているのだ!」
この考え方ひとつで、自分のドキドキが味方になってくれる感覚がありました。
③いい緊張を知ることで、緊張を恐れなくなる。
いい緊張を作り出すのは、「入念な準備」であること。
そう、誰も「緊張しない方法」なんて言ってないのです。
緊張は絶対する。緊張していることはむしろ良いことだと伝えてくれています。
この考えは目から鱗でしたね…。
嫌なものだと捉えない。ポジティブな考え方で、これからもメンタルの勉強をしていきたいと思います!
DaiGoさん、あっちゃん、これからもお世話になります(>_<)!